延方干拓の歴史


地勢

潮来市の延方干拓地区は、旧潮来町、旧津知村、旧延方村の地域にまたがる、面積約810haの地域です。この地域は、北浦、鰐川、前川の合流地点にあり、周囲をぐるりと水に囲まれた環境にあります。また、東側は鰐川を挟んで鹿島市に隣接しています。

文献に残っている延方干拓の概要図

歴史

江戸時代

この地域の開拓の歴史は古く、江戸時代に始まります。文献によれば、寛永3年(1626年)に「大洲に新田を開き*庄屋制を置く」とあり、正保2年(1645年)には潮来二重谷新田の開墾が始められたとのことです。当時は一面砂丘地帯か原野であったものと考えられています。

*庄屋とは江戸時代に領主が、村民の有力者に命じ納税その他の事務を統轄させた長のこと。

明治時代

周囲を水に囲まれ度々水害に悩まされていたため、当時の町長が中心となり、「この地を豊穣の地たらしめん」とのスローガンのもと、築堤の計画が進められました。こうして、明治26年には計8,656*間もの堤防が完成しました。
この堤防は、明治39年には、県議会の議決により県堤として認められ、以来県営工事として改修されていました。

*1間は約1.8メートル

昭和時代

明治以来の多大な努力にも関わらず、昭和13年と昭和16年に、再び、大規模な水害に相次いで見舞われました。
この水害は、農家の暮らしをひどく困窮させました。しかし、これを機会に、有志によって排水対策等が積極的に協議されるようになり、一気に農業水利事業への気運が高まりました。
こうして、昭和21年には、県営潮来町外2ヵ村農業水利事業に、また、昭和33年には国営延方干拓事業に相次いで着手し、用排水路や機場の建設、ほ場の 整備に取り組みました。この結果、地域の営農環境は飛躍的に改善され、有史以来悩まされ続けてきた、水害もめっきり少なくなりました。

米島閘門:国営延方干拓事業において
昭和39年に完成。

昭和50年完成。
地域の歴史が石碑に刻まれている。

現在

こうして、先人のたゆまぬ努力により、広大な美田を手にした延方干拓地区は、県内有数の稲作地帯となりました。
現在は、農産物の生産基地としてだけでなく、その水のある素晴らしい景観が、地域住民の憩いの場ともなっており、土地改良区をはじめ地域住民の参加によってその景観が守られています。
県では、平成8年度から、県営地域用水環境整備事業を実施し、地域のよりよい環境を保全するため、老朽化した施設の改修や親水公園の造成などを行っています。

県営地域用水環境整備事業で整備した 排水路と親水公園