鰐川干拓の歴史


地勢

川地区は、茨城県南東部に位置し、鹿嶋市と神栖市にまたがる、面積132haほどの地区です。かつては、北浦から常陸利根川を経て利根川につながる三角州の入江をなし、葦や蒲が生い茂る湿地帯でした。

地区から鰐川を望む

歴史

干拓事業は江戸時代から明治時代にかけての主要事業の一つであり、当時より当地区の一部において水田開発が企画されましたが、なかなかの難事業であり、効果をあげることが出来なかったようです。
大正8年に開墾助成法が制定されると、地元の馬場要之助(ばばようのすけ)、野口準(のぐちじゅん)の両氏が念願であった鰐川干拓事業に乗り出し、沿岸住民への啓発運動を始めました。一部の猛烈な反対を受けながらも、これを押し切り、ついに大正9年12月に埋立免許の取得を成し遂げました。
その後、着々と起工に向け準備していたおり、大正12年に関東大震災が発生しました。このため、融資の話が途絶えてしまい、次第に住民からも事業を不安視する声が聞こえ、事業は暗礁に乗り上げてしまいました。両氏は寝食を忘れて東奔西走し、事業家を訪ねて資金援助をお願いし、また現地に誘って説明をしますが、波が立つ荒茫とした土地を前に、援助を名乗り出る者はいませんでした。
しかし両氏は諦めずに、互いを励ましながら、家財一切を犠牲にし、周りの人々に嘲笑われながらも苦闘すること10数年。ついに間組(現:株式会社ハザマ)の鈴木堅蔵氏の理解を得て、昭和3年9月に晴れて地鎮祭に漕ぎ着けました。そして昭和8年8月、ついに工事は完了し、荒茫とした湿地帯は、美しい田んぼが広がる稲作地帯へと変貌しました。

開拓記念碑

現在

現在は、先人の残した美しい風景を守るため、農地・水・環境保全向上対策に取り組みながら、地元住民が力を合わせて、地域資源の保全と管理をおこなっています。

地区内清掃の様子