岩崎堰の歴史


岩崎堰は、茨城県常陸大宮市(旧山方町)の久慈川にあります。
岩崎堰は、久慈川の近くの水田755haで使う水を久慈川から取る場所です。1秒間に2.5トンもの水を取ることができます。
岩崎堰がつくられたのは、今から約350年前の江戸時代です。当時、ひどい凶作(天気が悪かったりして作物ができないこと)が続いて多くの人々が飢え死にしていました。
 そこで、水戸藩の初代藩主徳川頼房は、町屋(今の常陸太田市)で金山(金を掘り出す場所)を経営していた永田茂衛門にもっとお米を多くつくれるようにするように命令しました。
永田茂衛門は正保2年(1648年)から久慈川の両岸をくわしく調べて、慶安元年(1648年)に工事を始めました。(1648年は年号が「正保」から 「慶安」に変わりました)工事は、承応元年(1652年)に完成して、18の村の田んぼに水をひくことができるようになり、お米がより多くつくれるように なりました。

今の岩崎堰

その後、昭 和25年(1950年)から昭和35年(1960年)にかけての県営かんがい排水事業(茨城県が行う、田んぼに使う水をひいたり、反対に田んぼからいらな い水を出したりする仕組みをつくる工事)によってコンクリートの堰がつくられ、昭和41年(1966年)から昭和47年(1972年)にかけての工事で水 路などがつくられました。
その後、久慈川の下流で砂利をとったり、洪水などのために川底が低くなって、堰の改修が必要となったので、昭和63年(1988年)から新しい堰をつくる工事が始まり、平成9年(1997年)に今の堰ができました。

改修前の堰

 

新しい堰

永田茂衛門とはどんな人?

最初は、甲 州(今の山梨県)に住んでいました。全国の金を掘ることを幕府から認められていたので、全国をまわって金などを掘って暮らしていました。寛永17年 (1640年)、常陸(今の茨城県)に来て金山を調べたり、金を掘ったりする仕事をしました。また、水路をつくる工事が得意だったので、甲州にいる子供を 呼び寄せて、一緒に水路の工事をしました。万治2年(1659年)に亡くなりました。

関連ホームページ:土地改良偉人伝~水土里を拓いた人びと~