豊田堰の歴史


概要

豊田堰は、龍ヶ崎市(左岸)および取手市(右岸)に跨る小貝川に築造された可動堰であり、周辺地域の農業用水の確保や新利根川の水量維持など重要な役割を果たしています。この豊田堰は岡堰、福岡堰とともに昔から農業利水の関東三大堰といわれてきました。

 

豊田堰位置図

歴史

起こり

豊田堰は、寛文7年(1667年)に徳川幕府の命により御普請役伊奈半十郎忠治が中心となり、堰を設けかんがい用に供したのが始まりです。

旧豊田堰

堰はしばしば破損し修理に多額の費用を要したため、天保10年(1839年)から明治14年までは毎年かんがい期に土砂にて小堤防を築く築留堰を施工し、 かんがい期が過ぎるとこれを切り流すという方法をとりました。しかし、毎年莫大な出費となるため、明治14年に木造関枠を設置し、さらに明治34年に永久 構造物として煉瓦作りに改築されました。この旧豊田堰は長年に渡り沿岸流域のかんがい用水の水源として多大な恩恵をもたらしてきました。

煉瓦造りの旧豊田堰
(茨城県農地局編集「土地改良三十年の歩み」より)

現在の豊田堰

時代の移り変わりとともに治水など河川管理上、堰改築の必要性が生じてきました。そこで、昭和43年に約150m下流に現豊田堰の建設計画が立ち上がり、昭和47年に右岸より工事に着工し総工事費約27億円をもって、昭和52年に完成いたしました。

新しく建設された豊田堰は旧堰と同様にかんがい用水の確保、ならびに取水を容易ならしめる目的をもち周辺地域に大いに貢献しています。

現在の豊田堰